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2007年4月号
アクティブウーマン第51回記事より。 |
葬儀業界を、安心できる業界に変えたい!
日本ではじめて、葬儀相談員という職業を生み出した、
市川愛さん。「人生最期のイベント」に携わる仕事に使命感をもって取り組んでいる。
「葬儀業界って暗いイメージですよね。私自身、業界に入るまで漫画の『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造みたいな怪しい人ばかりいるところかと思っていました」
ゆったりと微笑む市川愛さん(33歳)。この女性が、日本初の「葬儀相談員」とはちょっと驚きである。哀しみを扱う職業の人にありがちな翳りを全く感じさせない。春の夜を照らす満月のように穏やかでやわらかい笑顔だ。
◆遺族が納得いくようなお葬式をサポートしたい
2004年に市川さんが31歳で始めた「葬儀相談員」とは、葬儀社とあえて提携せず、バックマージンもとらず、あくまで相談者側の立場に立ったプロのアドバイスをする葬儀コンサルタントのこと。それまで葬儀社からバックマージンをもらう葬儀社紹介業にいた市川さんは、葬儀社にあまり強くものが言えない立場がもどかしく、独立を決めたという。
「葬儀業界って不透明で、見積書の作り方も各社バラバラなんです。支払うときに見積書になかったものが加算されることも多いし、同じ葬儀社が同じ形式で同規模の葬儀を行なっても、相手によって請求額を変えることもありがち。そんな不透明な状況を見て、見送る側が精神的にも経済的にも納得のいく見送りができるよう、直にお手伝いがしたいと思ったんです」
◆葬儀社職員のひと言に深く傷ついた
それにしても、尊い仕事ではあるが、葬儀にまつわる大変な仕事をなぜ、始めることにしたのだろう。
「葬儀業界に入ったのは、ほんとうに偶然なんです」
1973年、神奈川県川崎市生まれ。父は自動車関連のエンジニア、母は大学職員と、葬儀業界とは無縁の家庭で育った。中学ではバスケット部で汗を流し、高校ではライブハウスに通い、クラブで踊る青春を送った。そんな活発な女の子が、初めて「葬儀」を意識したのは高1のとき。一緒に暮らしていた祖母が亡くなった。葬儀の前日、祖母のドライアイスをかえに来た葬儀社の男性からショッキングな一言が。
「お嬢ちゃん、あんたのばあさんはさ、今、お腹の中、ドロドロに腐っているところだよ」
あまりのことに何を言われたのか、わからなかった。反芻しているうちに意味はわかったが、父母にはその後、何年も話せなかったほど。
「もっと気持ちのいい葬儀社だったら、大好きな祖母ともっとちゃんとしたお別れができたかもしれない。あんなつらい怖い思いは誰にもさせたくないですね」
でも、だからといって葬儀業界に進んだわけではない。最初に経験した仕事は某中小企業役員の秘書。その後、21歳で服飾メーカーに就職。百貨店のハウスブランドをつくる会社で、商品企画と販売企画を担当した。
「それなりに楽しかったけど、入社7年目、会社の経営が傾き出して12月に払ったボーナスを1月に返してくれ、と言われたんです(笑)。それから、給料から3万円ずつ天引きされ始めて、先行き不安だなと転職を考えるように」
同じ服飾関係の仕事を探し始めたとき、全く違う業種の求人広告が目をひいた。キャッチコピーは「ありがとうと感謝されるお仕事」。葬儀業界初の葬儀社紹介業の社員募集だった。
「結婚式場紹介所のシステムを葬儀業界に応用した画期的な会社でした。それまで中立の第三者の立場で葬儀社を紹介してくれるところはなかった。面接に行ったら、社員の平均年齢が30歳と若くて会社も明るい。これはいいな、と」
29歳で葬儀業界に飛び込んだ。4カ月間みっちり研修を受け、一から葬儀の内容や形式と、相談者に安心感を与える話し方を学んだ。研修が終わるまで相談対応は一切なし。いい会社だった。
「電話相談に出るようになってそれまで感じたことのない手ごたえを感じました。葬儀の相談なんてしんどいのでは、とよく聞かれますが、逆に楽しかった。葬儀社は選べる、事前準備もできるとお伝えできてうれしかった。祖母の葬儀の際の出来事が仕事にのめりこむ理由になったのかもしれません。服飾の仕事をしていたときは、『早く仕事終わらないかな』と思ってたのに、電話相談は自分から当直を買って出るほど、生まれて初めて仕事へのやりがいを得ました」
◆日本初の「葬儀相談員」という職業をつくる
しばらくして80歳の男性から、本人の葬儀の事前相談を受けた。
「葬儀用のお写真などすべてご自分で決められて、半年後に他界されました。死後、初めてご家族はそのご準備をお知りになり、おかげで本当に助かったと感謝されました。そのとき、この仕事は私の天職、一生の仕事と感じました。その方が葬儀について相談し、葬儀社を決める手助けをしたのは、おそらく世界中で私だけ。かえって身内には相談しにくいことも、第三者のプロには相談できるんです」
やりがいを感じるほどに、市川さんは電話のみでの相談業務に限界を感じるようになった。現場に駆けつけて相談者の顔をみながら相談に乗りたい。必要なら、葬儀社との打ち合わせにも同行したい。万が一、紹介した葬儀社との間にトラブルが起きたら、全面的に相談者の味方になりたい。葬儀費用のどこが節約できるか、教えたい。
「そういう仕事がすでに業界にあるだろうかと見渡した時になかった。じゃあ、自分が始めようと安直に独立を決めました(笑)」
あっさりと市川さんは言うが、それはとても大変なことだった。日本初の「葬儀相談員」だけに、まだ誰もそのサービスを知らず、申し込みもない。周知するため、ホームページの作り方を学び、経営関連のセミナーにも参加したが、結局、軌道に乗るまでに1年間費やし、一旦は貯金が底をついた。また、新しい仕事だけに「相場」もなく、消費者側には「相談サービスに料金が発生する」という意識が低いため、料金を決めるのも難しかった。
「ややもすると持ち出しが多く赤字となり、試行錯誤の連続でした。今、1件につき、15万7500円(交通費別)を前払いでいただく形に落ち着きました。全力で対応できるのがだいたい1週間にお1組。すると月に4〜5組しかお受けできないので、逆算して赤字にならないのが、この金額。内容に納得がいかない場合は返金をうたっていますが、皆さんに『ありがとう、お願いして本当に良かった』と言っていただけています」
◆いやがらせも多いが逆にバネにする
業界の反発も大きかった。ホームページに「葬儀業界を、消費者が安心できる業界に変えていくことを目指します」と明記し、業界の裏側や問題点を情報開示したところ、メールボックスには、これを快く思わない業者からのクレームや罵詈雑言が集まった。ある葬儀社からのメールには「ジャンヌ・ダルク気取りか」とあった。
「落ち込む時間がもったいないから、落ち込まない。逆にいいキャッチコピーだと思って、葬儀界のジャンヌ・ダルクと呼ばれています、と冗談で名乗っていた時期も(笑)。いやなことがあったら、黒糖焼酎を飲んで、心のアルコール消毒をしています(笑)」
この強さはどこから来るのだろう。葬儀社に「あんたの言うことは正しいけど、若い女の言うことなんて聞きたくないよ」と言い放たれても、「相談者に紹介できない不誠実な業者とわかってよかった」と受け止める市川さんだ。
「葬儀相談員」を辞めたいと思ったことは一度もない。
「葬儀を終えたご遺族の表情に、悲しみの中にもちゃんと送ってあげられたという満足感を垣間見ると、もう辞められないですね。葬儀の後、偲ぶ会や身内だけの集まりに呼んでいただくケースもあるのです。そこからは、もうまったくのプライベート。そういうおつき合いができることがうれしい。ありがたい」
まっすぐで熱い人だ。「今、葬儀業界は二分化され、問題意識をもつ業者さんも増えています。そういう業者からのコンサルティングや研修の依頼も多いです。」ホームページには、現状を改善したい葬祭関連業者へ向けた欄も設けた。
「最近は、相談機関の看板を掲げていても、蓋を開ければ葬儀社だったというケースも増えているので、気をつけてくださいね。戒名は、お墓に入る寺からもらわないと、もう一度付け直しになるから、注意してくださいね。また、互助会や市民葬は安いと思われがちですが、それはイメージだけです」
やはり、この人は「葬儀界のジャンヌ・ダルク」だ。業界の情報公開を目指し、講座やインターネットで情報発信を続ける。昨年は、葬儀の「ワナ」を赤裸々に綴った『身近に亡くなりそうな人がいたら読む本』を共著で出版。この6月には、事務所を法人化し、人を雇って新しく「葬儀相談員」も育てる予定だ。
ところで、ジャンヌ・ダルクに
「恋する時間」はあるのだろうか。
「最近、久々に彼氏ができました。結婚ですか?もし、タイミングが合えば・・・・・・」
ジャンヌ・ダルクの頬がみるみる赤くそまった。
遺族の方の「ちゃんと送り届けた」
という表情が、私を強くする
【プロフィール】
いちかわ・あい
1973年、神奈川県川崎市生まれ。服飾メーカーに7年間勤務し、百貨店との商品企画・販売企画などを通して徹底した顧客視点を学んだ後、葬儀業界初の葬儀エージェント企業に入社。服飾業界で身体に染み込んだ「顧客サービスの常識」が通用しない葬儀業界の「惨状」に衝撃を受ける。『ウェデング業界にはウェディングプランナーがいるなら、葬儀業界にもプロのサポート役が必要なはず』との想いから、2004年に独立後、「葬儀相談員」という新しい形態の葬儀サービスを考案。
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